スイカブログ

仕事などの経験や好きなことについて書きます

春の下駄箱で起きた、ほろ苦い出来事。

今週のお題「ほろ苦い思い出」

 

部活が終わった放課後、ぼくは教科書やノートをカバンに詰め込み、帰りの支度を済ませると教室を出て長い廊下を歩き、窓から夕陽が差す、少しうす暗い下駄箱に向かった。

 

下駄箱の靴を取り出して、脱いだ上履きを棚に戻したとき、誰かがこちらへ歩いてくる気配を感じた。

無造作に振り向くと、目の前に同じクラスの女子が立っていた。

 

「これ、友達から〇〇君に渡してって頼まれたんだけど…」

と言いながら差し出された手には、女子が使いそうなレターセットの小さな四角い封筒があった。

 

ぼくは、驚きと恥ずかしさから反射的に拒絶し、女子が差し出す手紙を受け取らずにそそくさと帰ろうとした。

 

「受け取ってくれないと、私が困るんだけど!」と言う女子を振り切って、ぼくは逃げるようにして帰ってしまった。

 

学生時代、極度の人見知りだったぼくは、とにかく学校で目立つことを恐れていた。

目立たず平穏に学校生活を過ごしていたぼくにとって、女子から手紙をもらうなんて、あり得ない事件としか思えなかったのだ。

 

しかも、本人からではなく、友達を介して渡される手紙を受け取るということは、この事件を知る人物が複数人存在しているわけだ。受け取ったりしたら、それだけで噂になるに違いない。

 

手紙の内容はわからないが、雰囲気から察するところ、恐らくラブレターというものだったのだろうと思う。

 

その「事件」の数日後、校内の階段を登っていると、上の階からぼくを見つけた別のクラスの男子が、ニヤニヤしながら「〇〇君いいなあ…俺も〇〇君になりてえ」と話しかけてきた。ぼくは一瞬、固まってしまい「えっ?」としか返答できなかった。手紙を受け取ってもいないのに、どうやら噂が広まっているらしい。

 

その後のことは、あまり記憶に残っていないが、ぼくに手紙を書いてくれたのは、別のクラスの女子で、学年でも目立っているかわいい子だとわかった。

 

同じクラスになったこともなく、部活や委員会でも接点はなかったはずだが、いったいぼくのどこに興味を持ってくれたのか、皆目見当がつかない。

 

数か月後の修学旅行では、土産物屋の店内で女子のグループに囲まれて「写真を撮らせて」と言われたが、当然また逃げることしかできなかった。

 

こうして思い出してみると、我ながらヘタレだったと思うし、女の子の気持ちを考えると、悪いことをしてしまったと思う。

 

もしも仮に、ぼくが勇気を出して手紙を受け取り、付き合うことになっていたとしたら、どうなっていただろう。

女子との会話に慣れることで自信が生まれ、ぼくの人見知りは克服できていたかもしれないとも思う。

彼女と、あの頃僕が好きだった音楽やマンガや部活の話をしたり、彼女の趣味やお互いの進路のことなどを話せていたら、ぼくの人生は大きく変わっていただろう。

 

始まることもなく終わってしまったが、手紙を受け取ることができなかったことは、ぼくにとってもほろ苦い失恋の想い出であるとも言えるのだ。

 

女性は新しい彼氏ができると、前に付き合っていた男のことは、忘れてしまえるものらしい。彼女は、きっと高校では、すばらしい彼氏と出会い、中学時代のぼくのことなど忘れて、楽しい学生生活を送ることができたのではないかと思う。

 

とある学者の説によれば、人間の脳は15歳の頃に好きになったタイプの異性が嗜好の原型になるものらしい。

それが本当だとしたら、思春期の美化されたままのぼくは、中学時代の想い出と一緒に彼女の記憶の片隅に、ほんの僅かでも残っているかもしれないとも思う。

 

高校入試の合格発表を見に行った帰り、高校の正門に続く桜並木の下を、両脇を友達に支えられて泣きながら歩いている彼女を見た。

 

高校は、それぞれ別の学校に進学した。

その後の彼女の消息はわからないが、どこかで幸せに暮らしていることを心から願っている。